日曜は帰りのフライトが夜の8時だったので
それまで何をしようかと多少途方に暮れてたんだけど。
何気にエアフルト近郊の地図を見てたら
凄いことに気がついたんす。
なんとねー。
アタイが長らく行きたい、行きたい!って
思ってた街がものすごく近くにあることに
気がついたんす。
どう見ても近かったのでコウに聞いてみたところ
電車で15分くらいで行けるよ!
とのことだった。
ので即決。
行くべし。
ヴァイマーに行くべしだと。
そうなんす。
クロネコ13年振りにヴァイマーに行ってきたんす!
日本語で言うところのワイマールね。
ココも留学中に研修旅行で行ったんだけど
当時非常に気に入って
どうしてももう一度行きたい!!
って思ってたのよね。
なかなか行く機会が無くて気がついたら
13年も経っちゃってて。
今はさすがに観光地化してそうだから
あんまり面白く無いかもなあ・・・
ガッカリするかもなあ・・・
って思いながら行ったんだけど。
全然そんなこと無かった!
というより期待以上に良かった!
今回もすっごく感動!
アタイの独断と偏見によると
ヴァイマーはドイツで一番美しい観光地だと思う。
そりゃベルリンの方が都市として巨大だし
いろいろ催しもあって魅力的なんだけど
小さな観光都市としてヴァイマーほど魅力のある街は
ドイツに無いと思う。
(まだ行ってない街がたくさんあるので今後この
意見は変わるかもしれないけどね。)
けどヴァイマーはどこをとっても
アタイの評価はニジュウマル。
なんつーか、文化と歴史があふれる街っていう
形容がぴったりくるし、
なんと言ってもヴァイマーは観光地なのに
全然スレてない。
清楚な印象を与えるんだよ。
東ドイツの街だったからかもね。
資本に毒されてないからか、18、19世紀の雰囲気を
今でも感じることが出来ちゃうんだよ。
非常に貴重だよね。
あと地理的要因からか、異常な数の観光客が
来るわけじゃないので、観光客はいるけど
うっとおしい雰囲気にはならない。
街のカフェでお茶を楽しんでるのは
観光客だけじゃなくて、ヴァイマーの住民もたくさんいる。
そしてエアフルト以上にトゥルキンが全然居ない。
こんな楽園みたいな街があるなんて~!!!
って感動しちゃった。
それにしても今はベストシーズンというか
天気もいいし、暑すぎないし、
木々が生い茂ってそれはそれは美しかった。
ヴァイマーのすごい所は、小さい街なのに
ドイツの歴史的な著名芸術家たちが
ギュッギュッと凝縮されてるからなのよね。
こんなにスゴイのに観光地としてギトギトしてなくて
非常にシンプルでスッキリと美しいんだよ。
好感度が非常に高い街。
どんだけすごいかと言うと。
まずはドイツが誇る文豪ゲーテが50年住んでたことで有名。
そしてゲーテのまぶだち文豪シラーも住んでた。
音楽家ではヨハン・セバスチャン・バッハも住んでたし
フランツ・リストも住んでた。
哲学家のニーチェも住んでた。
画家のクラーナッハだって住んでたのだ。
第一次世界大戦が終了した1919年がこれまた
ヴァイマーを価値あるものにした。
そう、うちらも歴史の時間に習った
ワイマール憲法がこの年に制定されたんすよ。
んで同じ年に美術と芸術を総合的に学べる学校
バウハウスもこの街で設立されたんす。
いやー。
こんな小さな街なのにどこを歩いても
歴史的に名をはせた有名人ゆかりのものが
そこかしこにあるわけで。
テンションあがるあがる!
すごいねえ。
では写真を。
まずは街のシンボルである「ゲーテとシラーの像」↓
これは13年前に来たとき改装中だったので
白い幕がかかって見れなかったから
今回初めてそのお姿を拝見できた。
この二人仲良しこよしだったので一緒の像になってる。
でもシラーより背が低いことを気にしてたゲーテは
シークレットブーツを履いてるんだって・・・。笑
ゲーテとシラーの後ろにあるのは劇場だよ。↑
ゲーテの「ファウスト」も演じられたりしたんだそう。
んでゲーテたちの目線の先にあるのが
このバウハウスミュージアム。↓
今回時間が無くて入れず・・・。
次回必ずや。
お城に行こうと地図を見たらこの小道からも
行けそうだったので歩いてみることに。↓
タイムスリップした感じ。↓
つたで覆われたホステルを見たり↓
ロシアン雑貨のショップを見たり。↓
そうこうするうちにゲーテのタニマチ、
アウグスト公の住んだお城に到着。↓
この中にはマルティン・ルターの友達だった
クラーナッハの絵もあるんだそう。
お城の入り口には塔もある。↓
お城から歩いてすぐのところにマルクトがある。
マルクトに面してホテル・エレファントが控えてる。↓
ここはゲーテたちも泊まったという非常に
歴史的に由緒あるホテルなのだ。
一泊300ユーロくらい。
今はケンピンスキーと共同経営なのかな?
そこからさらに南へテクテク歩いていくと
ゲーテの家がある。↓
50年もここに住んだんだって。
今は観光客向けに馬車が留まってたし、
多分内部には説明書きがあると思うけど
13年前はそんなものは一切無かった。
ゲーテの家に入っても説明が一切無いんだけど
アタイらの先生が何故かゲーテの家について記述された
資料を持っててうちらに説明してくれた。
けどクロネコはそれを無くしてしまった・・・。
次は墓参り。
途中ステキな建物を発見。↓
これは高校なんだって。
その名も「ゲーテ高校」だった。渋いねえ。
そして歴史墓地に到着。
ここは厳かで本当に美しい。
苔むした感じで非常に趣があって良い。
13年前に来たときは雨が降ってて寒かったのを覚えてる。
墓地中央の小高い丘の上に薄いピンク色の建物がある。
ここはヴァイマル公家の墓。↓
んでこん中にはゲーテとシラーの棺もあるんだそう。
当時ドイツ語の先生がシラーにまつわる面白い話を
いくつか説明してくれた。
アタイの記憶が確かなら正しい話だけど
なんせ13年前だからね。笑
シラーは体中が病に蝕まれてて内臓と言う内蔵が
病気だったので常に病魔と闘ってた人。
当然のごとく彼は若くして亡くなって
シラーは家族のもとに埋葬されてた。
美しく賢く才能にあふれる男だったシラーと
とっても仲良しだったゲーテは82歳まで生きてたんだけど
何と彼はシラーの棺を自分の棺の横に並べるようにと
遺言を残したんだとかで。
だから今も二人の棺は並んでる。
・・・。
けどさ。
これシラーの嫁にしてみたらいい迷惑だよね。
なんでゲーテに取られなきゃいけないわけ?みたいな。
ゲーテってワガママだなあと当時先生の説明を
聞きながら思ったんだよね。
そんでシラーといえばもう一つ面白い逸話があって。
むかしソ連と東ドイツは仲良しだったんだけど
当時ソ連には骸骨を元に生前の性別やその人がどういう顔つきだったか等を
分析できる技術があったんだそうで、
ソ連から試しに東ドイツの骸骨を出してみてくれ
って頼まれた東ドイツ政府は
ソ連に内緒でシラーの骸骨を渡したんだって。
したら・・・。
調査の結果ソ連から「あの骸骨は作家シラーのものですね」
っていう回答が返ってきたんだって!
見事だなあってことで当時東独では話題になったんだとか。
ソ連の出来レースじゃなかったとすれば面白い話だよね。
アタイは当時へええええって感動しながら先生の説明を
聞いてた覚えがある。笑
この霊廟の裏には教会が隣接してるんだけど
宗派はロシア正教だった・・・。↓
なぜロシア正教なのかは不明。
教会の裏手は最近の新しい墓地が多かった。
それ以外は1800年代の苔むしたお墓がちらりほらり
壁には墓標が刻まれていて、壁の裏側にも墓地があって
墓標が刻まれていた。↓
古い墓地って心が落ち着いていいねえ。↓
墓地に面した家々も非常に立派なお屋敷ばかり。↓
墓地を後にしてつぎはイルム公園へ。
その途中にはバウハウス大学がある。↓
イルム公園の端っこには作曲家フランツ・リストの家があった。
ので入ってみた。
これがまたナイスなミュージアム。
2階が当時のままのインテリアで、すごくセンスが良い。
シャンデリアとか装飾品とか以外に
普通のピアノとグランドピアノが並べて置いてあった。
1階は彼の音楽変遷。
彼がどんな曲にインスパイアされたかが分かるんだけど
ヘッドホンをセットすると色んなクラシック音楽が聴けるので
ミュージアムとしてとても楽しめる構成になってる。
リストの家をあとにして公園を散策。
イルム川も流れててこれまた穏やかでゆったりしてる。
当時ゲーテは夜中にココをアウグスト公と
裸になって泳いでたんだって。
って先生が当時説明してくれた。
公園を抜けた時点で既に3時間以上経ってて
さすがに腹ペコ。
なのでカフェに入った。
外のオープンテラスでチキンサラダを。
このカフェは中の雰囲気も良かった。↓
ヴァイマーは街の中にある家がどれもこれも
古い家をそのまま使ってて本当にかわいらしい。
窓枠が木のままなので古い家は一発で分かるんだよね。
ゆがみ具合もすごくステキ。↓
手前側の建物のボロさ具合もアタイのツボ。↓
なんと1階は洋服のショップだった。↓
日曜じゃなかったら中に入っただろうなあ~。
急遽ヴァイマーに行ったので地図はあったものの
記憶を頼りに歩いたこともあって、
見逃したものがたくさんある。
ミュージアム全般やお城の中は時間が無かったし、
ゲーテゆかりの地も周りきれてない。
そしてヴァイマー近郊にある
ブーヘンヴァルト強制収容所にもまだ行ってないし。
やっぱりまた行くしかないよね。
今度は泊りがけで行きたいなあ。
ベルリン以外ではヴァイマーが一番好きな街だなあ。
興奮して歩き回りすぎてぐったり疲れちゃった。
本当に見るものすべてが興奮を与えてくれるもんでねえ。
それにしてもすっごく楽しかった!!!