死して屍拾う者無し

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ベルリンビザ事情2

正直・・・今ものすごく毎日神経をすり減らしてる
状態ではあるのですが。
脳がオーバーヒート状態で血圧が
上がってるんじゃなかろうかと
思ったりするくらい
脳内血液量が増えてる感じの状態。

だからこそのブログかなと。
脳を切り替えるにはもってこいなのよ。
違うことを考えると多少は熱量が
下がるんじゃないかなと。
思いつつ。

国際結婚を考えた場合。
日本人とどこかの国の人との結婚の場合。
配偶者がいわゆる先進国の人だった場合。
そして日本人がその配偶者の国で
住む場合。

ビザはどうなるのか?
って思うよね。

または。
とある国に住むにはアタイら
日本人はビザが必要になりますけど。
まずは滞在ビザ。
期限付きのやつね。
1年とか2年とか居ていいですよってやつ。

国によっていろんな方法でビザが
取得できるけど。
その国にながーく住み続けたい!
でもビザ取得が大変!
と思ったら。
手っ取り早いのはその国の人と
結婚しちゃうことだ!

と言うのが普通の人の考えでは
無かろうかと思うし。
先進国の人たちもジョークっぽく
そういうことを言うんだわ。

あんま詳細は把握してないけど。
いわゆる人気国とでもいいますか。
英語圏ね。
ベイコクなんぞは、普通の日本人が
滞在ビザを取ろうとすると
なかなか大変みたいだけど。
ベイコク人と結婚しちゃえば
すぐグリーンカードが降りる
といわれてるよね。
グリーンカードっつうのは
恐らくは滞在ビザで
永住許可書だそう。
永住が許可されてる場合は
基本、労働も許可されてる。
入国管理局が、本当にこのベイコク人と
外国人は夫婦なのか?と審査に来るんじゃ
無かったっけ?
ま、とにかく結婚すればすぐ降りるのは
ベイコクの仕組みなんだよね。
で、これは結構すごいことかもしれないよ。

と言うのが。
英国はかーなーり厳しいからね。
イギリス人と結婚すれば自動的に
永住権がゲット出来るのか?
といえば、ぜんぜん違うみたいなので。
どんだけイギリスっちゅー国は
外国人をイギリスに入れたくないんだ?
ってくらい厳しく制限してる。
それがエイコクですよ。
イギリスですよ。

イギリス人の配偶者の年収が
ある一定以上無いと
外国人との結婚は認められないんだって。
なんですとー!
ってくらい厳しいよね。
もしかすると。
貧乏なイギリス人がどっかの国の人を
嫁にもらうという偽装結婚で
お金をもらって
外国人をイギリスで住まわせる手引きを
しちゃうんじゃなかろうか?
と。
そういうのを阻止しようとしてるのかなと。
取れなくも無いよね。

なので。
そう簡単にはイギリスで永住権&労働許可書は
ゲット出来ないんですよって話。
EU市民は今のところ何の問題も無いけどね。
そのうちだめになるかもねー。
かもねー。

そしてそして。
ドイツラントですよ。
アタイは昨日までドイツラントでも
ベイコク同様に
ドイツ人と結婚すれば2年も経てば
すぐに永住権が降りるんだとばかり
おもーてましたのよ。
実際そういうのを何ケースか
見てきたし。

だがしかしですね。
どうやらここへきて、まあまあ
条件が厳しくなってきてる模様で。
まあ、でもイギリスに比べたら
屁でもないレベルっちゃー
レベルなんだけど。

と言うのがね。
ドイツでは永住権っつーのは
ある程度ドイツ語がしゃべれないと
与えてもらえないらしいんだわ。
なので。
ある一定の時間ドイツ語講座に
通いましたよっていう証明が
要るはずなんだよね。
300時間だか400時間だか
知らないけども。
そんで、ビザ申請時に係官と
ドイツ語で会話をして
係官が
「ま、これならオッケーでしょ!」
と判断したら永住権が降りるのよね。

って。
よく考えたらこれアタイの時も
そうでしたわ!と。
アタイはドイツ語がしゃべれたので
通常の滞在ビザ更新を5年繰り返して
5年目に永住権が降りたんだよね。
アタイの時の法律では
最初は1年だけの滞在ビザ
次は2年の滞在ビザ
その後も2年の滞在ビザ。
それらを終えて、
かつ、年金を5年支払ったという証明と
税金を5年間支払ったという証明を
出せば降りるんだわ。

さらにそっからEUビザっちゅーのを
ゲット出来る権利が発生するらしく。
EUビザを持ってればEU圏内なら
どこででも暮らせるって言うビザらしく。
かつ。
ドイツの滞在ビザだと仮にアタイが
半年以上ドイツを離れてた場合
失効するらしいんだけど。
EUビザなら失効しないという特典が
あるんだそうです。
アタイ他の国に住みたいと
思わないからEUビザを取る気は無いんだけどね。

でもまあ、ドイツラントでは
たとえドイツ人の配偶者が居て
条件を満たしていても
ドイツ語がある程度話せないことには
永住権が降りなくなってるんだよねー。

で。
アタイがベルリンに住むようになって
ちょうど3年が過ぎたけど。
(早いねー)
ベルリンに住んでる日本人ときたら。
なんだか。
ドイツ語が話せない人が多い印象で。

アタイが以前住んでた街は
ドイツでもっとも日本人が多い街だったので
そりゃまあ駐在員とか
駐在員の家族とかはドイツ語が話せなくても
仕方ないし、要らないし、すぐ帰るし。
って感じだったんだけど。

ベルリンにはほぼほぼ駐在員は居ないわけで。
家族とかも居ないわけで。
みずから進んでやってきて暮らしてる割に。
ドイツ語がまったく話せない人が
わんさか居ると言うね。
しかもドイツ人と結婚してるのに!
っていうね。

クロネコ正直言って。
ただただ驚きなんだけど。

たぶん、他の街だとこうはいかないと思うんだけど。
ベルリン特殊事情かなと。

じゃあみんな何語なのか?というと。
夫婦の会話は大抵は英語みたい。
旦那ドイツ人も英語。
嫁日本人も英語で会話。
と言うケースがもんのすごく多い。
どっちもネイティブじゃない英語。
アタイはそんな英語で会話なんて
したくないやーって思うけど
割とみなさん平気なようで。

子供はこっち社会に入っていくから
ドイツ語になるわけで。
そうするといつかはお母さんとの
意思疎通が面倒くさいなと
思われる可能性もあるわけで。
そんなんで良いのかな?
と思う。
そんで。
当然旦那さんの親戚関係とも会話が
成り立たないケース多しみたいで。
みんながみんな英語が堪能って
わけでもないからね。

夫婦間の会話がまれに日本語って言うのもあったなあ。
旦那さんが日本語が堪能だから・・・
みたいなね。
奥さんも日本語で。
そんで旦那さんがドイツ人じゃない場合
子供は混乱しちゃうみたいよ。
親は日本語で話してて。
外へ行くとドイツ語。
だからよっぽど頭脳明晰なお子様じゃない限り
混乱して言語発達に遅れが出るとか
なんとか。
お母様ご本人から聞いたことがあるんだよね。

外人と結婚したら間に生まれた子供は
自動的に外国語が話せるようになる!
あの外国語取得の血のにじむような努力を
しなくても済む!
と簡単に思っていたら
それはまったく違う。
頭の良い子は自動的に言語を切り替えられる
らしいけど、みんながみんなそうじゃないので
言語能力が低い子はかわいそうだよね。

アタイが思うに。
そして日々感じるに。
言語と言うのはたとえ母国語でも
日々使ってないと絶対に錆びる。
劣化するものなのよ。
会話、読む、書く、聞く
この4つはまんべんなくトレーニング
してないと絶対に劣化する。

20年以上外国暮らしをしてる日本人で
日本語をあまり使ってこなかったように
見える人は
明らかに日本語が劣化してる。
相手の言ってることを理解するのが遅いし
その人の話す日本語も分かりづらい。
込み入った日本語も理解するのに
時間が掛かってるし。
反応も遅い。
とにかく明らかに日本語能力が落ちてるのが
見て取れるんだよね。

そういう前例をいくつか見てると
だんだんアタイも心配になってくるわけで。
ここでこうやってブログを書いていても
頭の中で思う感覚とそれを表現する日本語が
すぐにつながらなくて
出てくるまでにタイムラグがあるケースが
時々あって。
ひえー!
と言う気分になるんだよね。
かなり焦る。
ので、とにかく必死に脳を使ってその感覚は
日本語だと何と言うのだったかを
必死に考えるようにしてるんだー。
で、出てきたら一安心・・・みたいなね。
出てこないとなると一大事でございますから。

母国語が下手な人は、外国語を勉強しても
母国語の能力を上回ることは無いので
母国語の学習を怠ってはいけない!
と言うのがアタイの持論。
でも間違ってないと思うわよ。
日本語がつたない若い人とか見てると
外国語もつたないんでね。
そりゃそうよね。
自分の中に無いものを他の国の言語に
置き換えられるわけが無いからね。

にしても。
クロネコのようにドイツ語が大好きなタイプには
配偶者がドイツ人なのにそのドイツ語を
一切使わないっていうのは
もったいなーい!の一言しか出ないんだけど。
そんでもってベルリンに住んでるのに
ドイツ語を勉強しないだなんて。
ありえない!
ありえない!

言語はその国の文化そのものだから。
言語を学ばないと言うことは
その国の文化に興味が無いとアタイは
判断しちゃうんだー。
なのに住んでるわけで。
何のために?
良いとこ取り?
楽しみたいから?
そりゃビザも降りませんわよーと。

だけどまあ。
アタイみたいにドイツ語を大学で勉強してて
ドイツ語がすごく好きな人ばかりじゃないのも
分かってるんだー。
他の言語ならペラペラなのに、
ドイツ語の勉強をしなきゃいけないなんてー!
憂鬱!って思ってる人も多いだろうからね。
そんで。
本当は別の言語ならちゃんと話せるのに
ドイツ語になると急に赤ちゃんレベルに
落ちてしまって。
ドイツ人に相手にされないし。
配偶者も会話が進まないからイラつくのと
面倒くさいのとで、ついつい英語とか
別の言語になっちゃう・・・
と言うパターンも多いんだよね。

でもここであきらめてはダメ。
だとアタイは思う。
もし20年くらいはドイツに住むことに
なりそうだなと言うなら
諦めんな!と思う。
そうしないと後々困るのは自分だからね。
子供がいるなら間違いなく20年は
ドイツに住むわけで。
20年住んでてドイツ語が下手くそ・・・
って本当に目も当てられないと思う。
でもそれは配偶者に掛かってる。
配偶者が辛抱強く日本人のパートナーの
ドイツ語力をアップさせるよう
付き合ってあげないといけないんでね。
でもそれは本人のためになるから
やったほうがいいと思うわー。

と、今若くしてドイツ人と結婚してる
日本人の人がいたら
そんでもって英語で会話してるんです~
とか言ってたら。
アタイはこんこんと言い聞かせてるよ。
今楽をしてるといずれは
自分に返ってくるからね。

と言うか。
言語に興味ないなら外国で暮らさなきゃ良いのに
と言うのがアタイの正直な気持ちですわ。
だからあんま同情とかしてないんだけどね。
ただ、アドバイスをしてるだけ。

でもなー。
他の街の日本人はドイツ語がしゃべれるのは
普通なんだよなー。
だからベルリン事情がすっごく奇異に
見えてしょうがない。
そしてそれに問題意識を持ってない人を見ると
余計に驚くよ。

下手なドイツ語で2過ごしてたら
難民とか移民と同じような扱いをされても
文句を言えないからね。
ドイツ人は言語能力で相手を判断する民族なので
対等で居たいなら、勉強しなさいよー!
とアタイは思うな。

って言うアドバイスをアタイがしてあげた
しばらく後に、
この話をアタイから聞いたことを忘れて
さも自分の意見のように言ってくる人が
いたりなんかして。
どんだけ記憶力が悪いんじゃー!
と内心思ったりしてます。
それじゃあ先が思いやられるかもね。

でもたまにいるよね。
人から聞いた話を、そのソース源に
「こうなんですよ~」
って得意そうに語る人。
記憶力の悪い人がよくやってるね。
自分もバロメータにしておこう。
これをやりだしたら自分アウトだわと。
そんでもって。
同じ話を同じ人に何回もしはじめたら
それも怖いわと。
なのでアタイは何かのエピソードを
誰かに話す時は
「この話したっけ?」
という枕を必ずつけるよ。
さもなきゃ、うっとおしいやつだと
内心思われちゃうからね。

あ、永住ビザの話が
ボケ防止の話にすり替わっていたー。
これもボケの前兆か?
気をつけねば!笑

うん、ブログを気ままに書いてたら
脳内がリセットされた感じになった!
文章読み直したりとかしないでおこう。
脳を使うと疲れるので。
しっちゃかめっちゃかに話が飛ぶけど
ご了承くださいませ。
わーい。
これでよく寝れそうだ!
グーテ・ナハト。

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by kuronekomusume | 2017-03-20 06:21 | 日記 | Comments(1)

映画評「サイレンス」

久々に映画を見たので映画評を。
撮影中から気になっていた遠藤周作原作「沈黙」の
映画でございます。
昨日映画館に見に行ってきたー。

サイレンス
主演:アンドリュー・ガーフィールド、
リーアム・ニーソン、
イッセー尾形、浅野忠信、
窪塚洋介、加瀬亮ほか、日本人役者多数。
監督:マーティン・スコセッシ
公開:2017


ストーリー
江戸時初期(1600年代)キリシタン弾圧が
行われていた長崎が舞台。
ポルトガル-イエズス会宣教師のロドリゴ神父と
ガルペ神父は尊敬していた師匠のフェレイラが日本で棄教したと言ううわさを
信じられず確かめるため日本へ密入国する。
貧しい農村や漁村で隠れて信仰する人々と触れ合うが
長崎奉行に捕らえられてしまう。
日本人キリシタンを拷問にかけたり
殺したりすることで神父へ棄教を迫る幕府。
美しい信仰心を持った農民たちを助けて欲しいと
祈り続けるが、神は沈黙したまま。
なぜ神は沈黙するのか・・・
苦悩の果てにロドリゴ神父が見つけた答えは。


みたいな感じでしょうか。

マーティンスコセッシが「沈黙」を通して
描きたかったのは・・・。
信仰うんぬんでは無く、
キリシタン弾圧を通して
異文化を理解することの難しさ。
そして何よりキリシタンの命と引き換えに
棄教を迫られる宣教師の苦悩を通して
神に答えを求めるのではなく
答えは自分の中にある・・・
と言うことを伝えたかったと。
そして。
人の弱さ許すことの意味を問いかけてる
とのことで。
誰もが心に持つ、弱さと悪、卑劣。
自分の中にある悪い部分を気づかせてくれる存在、
それがキチジロー。
自分の中の悪い部分に苦しみながらも
本当に変わりたいと努力すれば人は
徐々に成長出来るということを表現している。

だそうです。
なるほどなるほど。
それこそがこの映画の本質。
そして遠藤周作が描きたかった本質。
そうなんだろうなとアタイは思う。

だからまあその部分を映画からも受け取れれば
それでいいんだろうなと。

けど。
アタイにとってそういう本質はどうでも良くて。
あんま興味が無いというか。
相変わらず違う視点で映画を見てて。
そんでもって、やっぱ遠藤周作すごいわ!と
感心したのでした。
遠藤氏が意図したかどうかは別として。
スコセッシが意図したかどうかも別として。
でも描かれた映画を見てアタイが受け取った
モノは小説も映画も同じだったのよね。
そう思うとスコセッシは原作に忠実に
映画化したんだろうなと言えるよね。

アタイはベルリンの映画館で見たので
当然のことながら全部ドイツ語吹き替えでして。
正直言って・・・
結構内容が難しくてね。
まあまあ理解するのが大変だった。
たぶん宗教的な表現がアタイのボキャブラリーでは
対応しきれなかったのかなと。
でもまあ大筋こういう感じかなあという
のは想像できたので良いんだけど。
出来ればもう一回日本語字幕つきで
見てみたいかも。
そしたらたぶん、本来のこの映画が持つ
メッセージをそのまま純粋に受け取れる
ような気がするので。

アタイは全言語を理解できなかった分、
違う点に目が行ってたといえる気がするので。

クロネコが「沈黙」でもっとも好んでる
テーマは、何といってもキリシタン弾圧なんだわ。
つまり幕府側の考えに強く賛同してるのよ。
なんつーかね、やっぱあれくらいやらないと
異教徒っつーのは排除できないんだろうなって
思うので。
迫害を徹底的にやってるのを見ると
江戸幕府の本気度が伝わってくるのよね。
ここまでやらないとフリーメーソンというか
イルミナティからの侵略を防げないんだな
っていうのを強く感じるので。
そして。
それを徹底したからこそ、その後のアタイの大好きな
美しい江戸時代が300年近く続いたわけで。
ほんと、良かったーって気分になるんだわ。
バテレンどもめー!みたいな。

しかもさ。
チラッと読んだところ。
その前の豊臣時代にポルトガル宣教師たちが
日本で布教活動をやってた時代に
なんとまあ九州地方からたくさんの日本人が
奴隷として買われてポルトガルに売りさばかれてた
そうで!
クロネコそれは知らんかったよ!
怒怒怒!
しかも、若い女性が性奴隷にされてたんだそうで。
なんだそりゃ?って話。
あの時代にポルトガルくんだりまで売られていくなんて。
涙無しには語れないよね。
それを知った秀吉は布教禁止令を出したそうで。
良い判断だと思う!

ま、とにかくね。
通辞(通訳さんね)役の浅野忠信氏が劇中で
「日本にはキリスト教は合わないし不要だ」
って言うシーンがあって。
クロネコまさに、そう!そう!って思ったわ。
そのくせアタイは欧州のどまんなかで
10年以上暮らしてるから何なんだ?
って話だけど。
なんつーかね、暮らしてるからこそ分かると言うか。
アタイにはキリスト教の真髄とか信仰内容とか
そういうのが根本的に理解出来ないなあと
つくづく思うのよね。
日本で生まれ育って30年住んでたからか
キリスト教的考え方とか行動模範みたいなのが
まったく理解できないんだわ。
言葉で聞いて理解するというレベルのものじゃないというか。

で、その感覚をうまく言葉で表現していたのが
まさに遠藤周作なんだよね。
映画ではリーアム・ニーソン演じる棄教の先輩
ラファイエ元神父さんが熱く語るシーンがあるんだけど。
信仰に固執するロドリゴ君に
日本人にキリスト教なんて理解できないんだよ!
って強く説明をするんだよね。
原作を読んだ時も、くー!これこれ!これだよー!
とすごく共感できたので、
このシーンが映画でちゃんと再現されてたので
マジで嬉しかったんだけど。
ほんとにこのラファイエ元神父の言うとおりなんだよね~。
部分部分でスコセッシもそういう日本人の
プリミティブさを演出してるんだけど
それがアタイにはポイントだったな。
「洗礼を受けたらパラダイスにいけるから洗礼を受ける」とか。
「死んだらパラダイスにいけるから死は怖くない」とか。
「なんかよくわからないけど珍しそうな十字架を触りたい」とか。
「信仰というより偶像崇拝的なモノをもらいたい」とか。
そういう勘違いというか勝手な解釈の信仰。
それが日本人の信仰で本来のキリスト教とは
大違いであると。

だから。
日本で布教活動をする意味なんて無い!
とアタイも思うわけで。
それは逆に。
バリバリキリスト教を信仰している欧州人に
日本的な仏教や神道の真髄も理解出来ない
とアタイは思うのですよ。
なぜならば。
人は知らない文化、異文化を理解しようとする場合、
自分が知ってるものと照らし合わせて比較することが
多いためで。
自分の経験値、知識、文化背景をもとに
未知のものを分析して照らし合わせて
ああ、こういうことなんだな!
と理解しようとするのよ。

でも。
この手法はかなり危険なんだよね。
なぜなら間違えることが多いからで。
クロネコも常にそして無意識にこういう理解法を
使っちゃうんだけど。
あ、つまり日本で言うところのあれみたいな感じかな?
みたいなね。
でもねー。
それでは全部は理解出来ないのよ。
到底無理。
恐らく本質の20%か30%くらいしか理解できない
気がする。
そりゃそうよね、だってそれ自分の文化背景に
存在しないものだもん。
それを理解しようと勤めてるけど、
どうしても分からない部分って残ると思うんだわ。
まあしょうがないよね。
でも近づこうと言う努力はしてるし、
なんとなく雰囲気は掴めるかなあって思うかもしれないし、
逆に、理解出来ないんだなということが理解できるかもしれない。
残りの良くわからない部分は、キリスト教的文化背景から
きてる考え方なのかなーと思ったり。
だとすると本当にアタイには理解できないので
そういうもんなのかなと思ったり。

自分の知識と文化背景を照らし合わせるかたちで
異文化を理解しようとするには理解の限界があるけど
「全部は分からないものなんだ」
と分かってることがポイントなのかなと
思うのよね。
分かったつもりにならずに、
分かってないことを分かるのも大事というか。

だけどだけど。
欧州人、というかドイツ人にありがちなんだけど。
その自分の文化背景や知識と照らし合わせて
理解できたつもりになるところなのよ。
分かってないことを認められないというか。
で、アタイから見ると
「本質を理解してないな」と感じられるんだけど
本人はあくまで
「理解してる!」と主張するわけなのよね。
なんで分かったふりをするのか謎なんだけど。

特に宗教の話をしてるとそれを如実に感じるわけで。
アタイはキリスト教がどんな教えでどんな信仰タイプなのか
ほとんど理解してないんだけど。
「自分はクリスチャンです」っていう人に限って。
キリスト教的な見方で仏教を語るのよね。
なんか違うんだけどな~って思うけど
キリスト教の真髄を理解出来てないアタイには
ポイントをうまく指摘しきれないというか。
なんかそんな感じなのよ。

だから。
映画の中で浅野忠信氏が通訳さんとして
ビシビシ厳しいことをアマちゃんのロドリゴ神父くんに
諭すんだけど。
その内容がまさに的を得ていて。
そうそう、そうなのよー!
とクロネコは手をたたきたい気分になってたというね。

イッセー尾形演じる、長崎奉行の井上氏との
面談時も、ロドリゴ神父君は意固地に
持論を展開するんだけど。

なんか。
それを見てすごーくアタイは
これは!って言う気分になった。
この気分は!アタイが時折ドイツ人に感じる
イライラ感だわー!と。
この感覚・・・分かりづらいと思うんだけど。
もしかするとドイツに住んでる日本人になら
分かってもらえるかなあ。

なんつーかね。
この青二才め!って言う気分というか。
屁理屈ばかりこねやがって!
相手を言い負かしたらそれで良いのか?みたいな。
屁理屈をこねてそれが正論!みたいな態度を
とる若造に腹が立つよ。
なんなんだお前は?みたいな。
これたまに頭が固いドイツ人と話をしてると
こういう雰囲気になるんだよね。
オタク系というか、日本語学科を専攻してるような
暗いドイツ男子に多いというか。
柔軟性の無い考え方のやつがこういう
しょうもない屁理屈をこねるんだよね。
分かりやすいたとえで言うと・・・
鯨漁批判について議論すると必ずこれと
同じ感覚になるんだよね。
彼らにとっての正論「鯨を殺すのは野蛮!即やめるべき!」
という主張に対して、いくらこちらの考えを言っても
聞く耳持たないんだよね。
なんというか、自分たちは正義!お前らは野蛮で間違ってる!
という思い込みがすごくて。
自分たちの崇高で美しくて先進的な考えを
君たち野蛮人の日本人に諭してあげるよ!
みたいな態度なんだわ。
これと同じ感じをこのロドリゴ君は持ってる。
ってことは。
こういう思考はキリスト教的なんだろうかね?
余計なお世話を振りまきに
極東まで行ってしまえるくらいの面倒くささ。
それがクリスチャンなんだろうかね。
いやー、面倒くさいわ。
幸いドイツ人のキリスト教徒率は
イタリアとかに比べると低いのでセーフだけど。
キリスト教を名乗っててもほとんど
信仰とか無い人も多いし、
それこそキリスト教に幻滅して棄教してる人も
多いのでね。

映画の中でロドリゴ君はザ・クリスチャンな
思考で勘違いっぷりを披露しまくってる。
一神教を押し付けたり。
仏陀は神じゃないからダメだ的なことを言って
仏教批判をしたり。
それをビシっといなす浅野忠信のかっこよさったら無いよ!
イッセー尾形氏も厳しくいさめてたよね。
「神はお前を通じて日本人を苦しめてるのだ!」
とか。
「お前が固執せず棄教すれば日本人捕虜は助かるんだぞ!」
とか。

いや、ほんとクロネコにはロドリゴ君は
駄々っ子にしか見えなかったわ。
オマエ何ごねてんだよ!
おまえのせいでどんだけ人が死んでると思ってんだ?
って思ってた。
リーアムニーソンも同じことを言って
棄教を迫ってたし。

ほんと、お前の下らん思い込みが邪魔してるんだよ!って話。
そもそもロドリゴ君は布教活動をするために
日本に来たんじゃなくて。
師匠のリーアムニーソンが棄教したのを確かめて
さらにそれを改めさせようと思ってわざわざ
ポルトガルくんだりから極東の日本に来たわけで。
思い込み激しすぎなんすけど~みたいなタイプなのよね。
師匠が棄教したのを改めさせようだなんて
余計なお世話だと思うんだけど。
純粋な彼には許せなかったんだろうね。

師匠は暗に、オマエが神に祈っても何も変わらんぞ!
と伝えていたわけで。
棄教しても自分の心の中に神がいればそれで信仰は
続けられるぞとも伝えてるわけで。
自分が意固地になることで誰も救えず人を殺してしまうことに
なるくらいなら、相手をだますくらいのことをやれと。
何でも神に頼るなと。

ほんとその通りなんだけど。
でもキリスト教徒にそれを気づかせるのはなかなか
難しいんだよね。
アタイ以前クリスチャンだったけど
創価学会に改宗したというイタリア人女性と
話をしたんだけど。
その改宗先も邪宗だからどうかと思うけど。笑
カトリックと仏教での比較だとすると。
(厳密にはぜんぜん違うけど)
彼女が言ってたのは、
「仏教は答えは全部自分の中にある。自分との対話である。」
とのことで。
そこが彼女はすごく共鳴できて好きであると。
「カトリックは何でもかんでも神に祈って
神様助けて。神様与えて!神様許して!」
と神と自分の対話になると。
だから自分が神にとって一番になりたいから
他の人を押しのけようとするんだとのことで。

なるほどなとアタイは思ったのよ。
まあ彼女はかなりかいつまんで話してたとは
思うけど、本質をついてるんじゃないかなと。
でもそう思うと。
遠藤周作が描いた沈黙は「キリスト教」というより
実は「仏教」的な考えだったのかもしれないよね。
彼はクリスチャンだったんだっけ?
でも日本人だったから仏教的な考えが融合されて
この結論に導かれたのかもしれないよね。
そして神が黙ってるのにも疑問を感じたのかもしれないよね。

と思ってみたり。

ってことは。
逆にこの「答えは自分の中にある」という考えを最初から
持ってる人たちのほうが芯が強いってことに
なるんじゃなかろうかとも思えるわけで。
なんか面白いね。

まあ、アタイがこの映画を見て思ったのは。
-キリスト教を徹底的に迫害した幕府の功績は
素晴らしい
-異文化理解は限度があることを自覚した上で
対応したほうが良い
-キリスト教徒は神との対話を求めすぎているので
エゴイストになりがち。

そんなところかなあ。
原作そして映画のポイントである人間の弱さ汚らしさを
体現しているキチジローについては。
特に何も思わなかったな。
ふーんって感じ。

けど、監督と遠藤周作が描きたかったポイント以外で
はたしてドイツ人はどう受け止めたのかが
とっても気になった。
この映画ドイツ人にはどう写ったんだろ?ってね。
「神の沈黙」は、「答えは自分の中にある」という
メッセージであると受け止めたのか。
はたまた。
なんつー野蛮なことをする日本人なんだ!って
呆れていたか。
けどこれ1600年代の話だから当時の欧州も
同じくらいかそれ以上に野蛮なことを
普通にしでかしてるからね。
その点を忘れないでよーとアタイは言いたいけど。
この映画を見てドイツ人、しかも出来ればクリスチャンの
ドイツ人が何を感じたかにアタイは非常に
興味を持ってるんだー。
誰か見てないかな~。笑

映画館では満席じゃなくて3割くらいしか席が
埋まってなかったんだけど。
ドイツ人の笑うポイントが面白かったかな。
1.片桐はいりさんが長崎弁で懺悔をするんだけど
さっぱり神父に言葉が通じてなくて、でもはいりさんは
必死~みたいなシーン。
2.小松奈菜さんが死んでパラダイスに行ったら
苦役も無いし、年貢も要らないって言うシーンがあるんだけど。
ドイツ語では年貢がSteuerとそのまま訳されていて。
重税のドイツ人にはそれがかなり面白ポイントだったらしく
大うけだったよ。
3.井上氏が愛人を囲ってうんぬん~なたとえ話をしてたさい、
ロドリゴの答えをみんな笑ってたな。
あとロドリゴが江戸で日本人として妻をめとれと言われた際も
神父なのに嫁~!みたいな感じでみんな笑ってた。

そんな感じで、結構笑いが起こる映画だったね。

エンドロールで面白いなあと思ったのは。
黒い背景に白文字で監督とか役者の名前が
パパっと写されるんだけど。
その背景音が虫の音なのよね。
鈴虫というかとにかく虫の音なのよ。
クロネコこれにはなんかちょっと笑っちゃった。
というのが。
最近どっかで読んだ記事に、
虫の音をきちんと音として理解できるのは
日本人だけであるという研究結果があるらしく。
日本人以外には虫の音は雑音&騒音にしか
聞こえないらしく。
右脳と左脳のどっちかで聞いてるとか
そういう内容だったような。
なのに!
そのはずなのに?!
スコセッシは虫の音をエンドロールに使ったわけで。
これは!と思ったね。
彼なりのこの研究へのアンチテーゼなのか。
俺らだって虫の音を理解出来るぞ!って言うね。
それとも、虫の音を理解できる人は「神の沈黙」の
意図も理解出来るに違いないという仕込みなのか。
はたまた。
単に日本人へのオマージュなのか。
分からんけども、非常にこにくい演出なんじゃ
無かろうか?とアタイは思いましたわ。

そんで最後の最後に。
ドイツ語吹き替え声優の名前が差し込まれてたんだけど。
クロネコ驚いた。
というのも。
日本人俳優さんの吹き替えは割りと日本人声優さんが
担当してるのが分かったからで。
どうりでドイツ語吹き替えだけど日本語っぽいサウンドだなと
思っていたのよね。
ネイティブには出しづらいなまりというか。
日本人がやってたならそりゃ日本語なまりになるわなーと。
けど。
さすがは映画と言えば吹き替えの国ドイツラントだね。
ちゃんと各国の声優をそろえてるんだからね。
よりリアルに再現するのを目指してるんだな~と
思ったよ。

日本版トレイらーも見たんだけど。
日本は基本字幕だから英語のオリジナルも聞こえるのでね。
英語のほうが分かりやすいシーンと
ドイツ語のほうが分かりやすいシーンがあるなあと
思ったのでした。
それは単にアタイのドイツ語力がいまいちだからに
ほかならないんだけどね。

そんなこんなで。
長くなりましたが。
アタイの評価は。
星3つです。☆☆☆

ロドリゴのワガママで意固地な態度が
なんか腹が立ってくるので。
と言うわけの分からない理由で評価がいまいち。
もし見られるかたがいたら、
ぜひとも浅野忠信とリーアムニーソンのセリフを
じっくり聞いてみてね。
それこそがアタイが欧州人に感じることの真髄に
近いので。
それを50年前に書かれた遠藤氏はやっぱりすごいんだろうねえ。
外国暮らしをしていたわけでも無いのに、
巨匠の着眼点は一般人のはるか上を行くんだね!


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by kuronekomusume | 2017-03-13 09:31 | 映画評 | Comments(0)

名前のアクセント

どーでもいい話ではあるんだけど。

アタイ自分の名前を正しいアクセントで
呼ばれないと、
キー!!!
って気分になるんですわ。
なんじゃそりゃ?
って思うかもしんないけど。
もうね、アクセントの位置を間違えられると
その時点で
「はい、こいつ終了!」
って脳内シャッターが下りてくる。
ついでに耳もふさぎたくなる。

たとえばアタイの名前が
アキコだとしますわ。

そうすると、日本人だと普通に
あきこさん
あきこ
と、ほとんどどこにもアクセントをおかずに
呼んでると思うのよね。
どっかのクソ田舎とかだと
「あ」とか「き」あたりに
アクセントを置いて呼ぶ場合があるかもしんないけど。
普通に一般的にいって、
あきこはどこにもアクセントが無いと思う。
しいて言えば
すごく無意識的に「あ」にアクセントが
あるかもしれない・・・くらいのね。

でね、たとえばありがちなのが
メリケン人ですわ。
やつらはどっかにアクセントをおかないと
発音が出来ない柔軟性の無い民族なので。
おそらくは
キィコゥ
みたいな感じで「き」にアクセントを置いてると思うのよ。

で。
それに影響されたドイツ人も多々いまして。
同じような感じで。
AKIKOを
キィコゥ
と発音してくるわけよ。

でもっと最悪だなとアタイが思うのは。
そんなベイコク思想に影響を受けてる
日本人ですわ。
そいつらがドイツ語とか英語を話すと
アタイの名前をベイコクなまりで呼ぶのよね。
キィコゥ sagt auch so
キィコゥ says also
みたいな感じで。
それを聞いてる毛唐たちも
そうか、同胞の日本人だってそう発音してるから
俺らの発音は正しいんだな!
と認識してるのかどうなのか知らんけど。
どんどん、
キィコゥ!と呼んでくるのよね。

あのなー。
そのアクセントは間違えとるんじゃー!
いいかげんにさらせー!

とアタイはいつも脳内で怒ってます。

まあ、まあ、クロネコそんなに怒らなくても!
って思うかも知れんけど。
怒りますよ、クロネコは。
なぜならば。

ドイツ人は、自分らの名前の発音やらを間違えると
注意してくるからなのよね。
だからアタイは気をつけて確認してるのよ。
なのにお前らはこっちの名前はどうでもええんか?
といいたいわけで。
キィコゥじゃねえわ、ぼけ!
と思ってます。

でもね。
クロネコ脳内では毒づいてるけど、
実はもうあきらめてるので
いちいち注意はしないんだー。

ただ最近気が付いたんだけど。
すっごく不思議なことに、
アタイのドイツ人友達は誰一人このアクセントを
間違えずにきちんと
アキコ
と発音できるんだよね。
誰も
キィコゥ
とは発音しないんだよね。
教えてないのにだよ。
日本語分からないのにだよ。

何故?
何故?
何故?

あ、でもちょっと傾向がある。
50代以上は
キィコゥ
と発音しがち。
若い人は
アキコ
と発音できる。
そして。
東ドイツ人は100%
アキコ
と正しく発音できる。
西の人は往々にして
キィコゥ
となりやすい。
アメリカナイズされてる人は特に
キィコゥとなりやすい。

以前デュッセルで働いてた時の同僚はほとんどが
キィコゥと発音してました。
なのでアタイは内心、
こいつらアタイの友達にはなれないなって思ってた。

それだけで友達枠からはずしちゃうという
キャパの狭いクロネコでした。
でも毎回呼ばれるから間違えられると
イラつくのでしょうがないのよねー。

あー、でもアタイも今後ますます
人の名前のアクセントには気をつけましょう~っと。
人の振り見て~

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by kuronekomusume | 2017-03-06 04:32 | 日記 | Comments(3)