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死して屍拾う者無し

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DD旅行記:閣下ゆかりの地 KGB編

南仏旅行記をサーッと終わらせるつもりが
思いのほか長くなってもうた。
でも!
アタイはDD旅行記も書くよ。

DDってのはドレースデンのことなんす~。
ナンバープレートでドレースデンはDD
って書くのですよ。
DRは他の街で使われてたからかな。
ドレースデンではところどころ
ナンバープレート以外でもこの街を表すのに
「DD」を使ってたので割とポピュラーなのかなと。

まあ、ドレースデンに関する街案内は
後ほどにまわすことにして。
そんなのわざわざクロネコが書かなくても
ガイドブック見りゃ分かることだし。笑
アタイにしか書けない内容がこの街には
あるからねー。笑

だからまずハイライトを紹介いたすよ。
覚悟はいいかな~。笑

クロネコ長らくこの街を再訪せねばっ!
って思ってたんだけどなかなか機会が無くて
先送りになってたんす。
プーチンファン失格よね。
でも!
クロネコの親友◆との旅行でこのたび実現っすよ。
実に4年ぶりのドレースデン。
通算5回目のドレースデン。
プーチン閣下のファンになってからは
初めてのドレースデン。

体中がワクワクだわよ。
1週間前に貧血で倒れたことなんて
スッカリ忘れ去るくらい血の巡りバッチリ。

もうねー、この街普通でも楽しすぎなんす。
なのに「プーチン閣下」って言う
おまけにしちゃ豪華すぎるおまけが
ついちゃってるからね、
この街も価値が上がるはずだよ。
うん、うん。

ま、ココを読んでる人はもう知りすぎてて
うんざりしてると思うけど
おさらいをしておくと。
プーチン閣下は冷戦時代ソ連KGBの
諜報員として東ドイツ・ドレースデンで5年間
勤務されてたんす。
仕事内容は諜報活動だけど詳細は
国家機密なので、何をやってたか
一般人は知るヨシも無い。
のでクロネコももちろん知らない。
ルスラントとドイツラントは当時プーチン閣下が
何をやってたかをある程度知ってるんじゃ
ないかなーと思うけど。

閣下が東ドイツに家族とともに住んでたのは
1985年から1990年までの5年間。
もう、プーチン閣下たら最も重要な時期に
東ドイツに居たわけだからナイスだよね。
ベルリンの壁が崩壊したのが1989年11月だから
その時プーチン閣下はまさに歴史の渦の中に
居たってワケなのよ。
ライプチヒの平和の祈りもリサーチしてるだろうし
ハンガリー国境越えをしてた東ドイツ人のことも
リサーチしてたに違いないのよ。
んで、ドレースデンのデモも調査してたはず。

当時の映像が時々テレビで流れるので
アタイはプーチン閣下目線になって映像を見たりしてる。
ドレースデンのデモ映像を見てると
東ドイツ秘密警察シュタージの音声が
流れたりするもんだから非常に興味をそそられるのよね。
プーチン閣下も大変だったんだろうなーってね。

クロネコ個人的にはこの東ドイツの民主化デモだけは
ベイエイのシナリオは一切無いと信じてる。
コレだけは必然的に起こった民主化運動だ!
と信じてるんだ~。
昨今東欧諸国で起こるデモはバックに
ベイエイが見え隠れしてて彼らがシナリオを書いてる
ヤラセであることが多いから、
よもや東ドイツもそうだったのかな?
ってよからぬ考えが浮かんじゃって。
クロネコ心配性だからね。
東西ドイツ統一の民主化の動きに関しては
東ドイツ人が自主的に行ったものだと今まで信じてるので
それが覆されたらどうしようって不安で。
ま、単なるクロネコの妄想と言うか
強迫観念に過ぎないんだけどね。

それだけクロネコにとっては意義深い出来事だから
それが覆されると価値観が崩れ去るので
つい心配になっちゃってねー。
不要な心配する暇があったら他にやること
いっぱいあるんじゃ?って突っ込みはいらないよ。

ま、そんな心配はさておき。

閣下は当時ご自身のイデオロギーと言うか
アイデンティティが喪失するくらいショックを
受けられたそう。
信じていた国家東ドイツが崩壊していくのを
目の前で見てしまったからね。
コレはものすごい事だったんじゃないかなあと
クロネコも想像しちゃうんだよね。
体制側で国家を信じて働いていたのに
その存在が消え去るなんてね。
既に親元ソ連の方がグダグタな感じになってたらしいけど
東ドイツは永遠に続くのでは?って錯覚させるほど
ピリッと国家として引き締まってたんだって。
閣下が当時受けた衝撃と価値観の変換は
それはそれは大きかったんじゃないかなあと
アタイはいつも想像してるわけですよ。

壁が崩れたすぐ後じゃなくて1年後に
帰国してるところも興味深いね。
閣下は東西ドイツの混乱期の真っ只中を
経験されたんだなーとね。
コレは貴重だと思う。
その後ソ連邦も解体しちゃったからねー。
ルスラントに戻ってからの閣下は
KGBを辞めて政治の世界に入っていくのよね。

ある意味ドレースデンでの体験が
踏ん切りをつけさせたのかなあと
これまた勝手に想像してるプーオタのクロネコなのでした。

そんなプーチン閣下が当時働いていた
KGBの建物は今もなおドレースデン市に
残ってるんす。
うふふ。
クロネコが行ってないワケ無いよね。
ファンとしてはマストだもんね。
ええ、ええ。
行ってきましたよ、もちろん!

前にもココに写真を載せたんだけど
今回はアタイの撮った写真を載せるよ~。
KGBはお屋敷を借りてたか
東ドイツ政府が提供してたんだと思う。
お屋敷がたくさん立ち並ぶ住宅街にある
一軒屋がKGBドレースデン事務所。
住所はアンゲリカ通り4番地。
DD旅行記:閣下ゆかりの地 KGB編_c0016407_713165.jpg

この通りはアンゲリカ・カウフマンと言う18世紀の
女性画家にちなんだ名前が付けられてる。
彼女の絵↓
DD旅行記:閣下ゆかりの地 KGB編_c0016407_72341.jpg

だからと言ってアンゲリカさんがこの通りに
住んでいたわけでは無さそう。
特にドレースデンと係わり合いも無さそうな・・・。
しいて言えば彼女の絵がドレースデンの
ミュージアムにある・・・と言った点くらいかな。
ロンドン、ミュンヘンとかにもあるらしいんで
そんな取り立てるほどじゃないような・・・。
しかも彼女はオーストリア・スイス人だったそうなので
ドイツ人でもないし・・・。
まあ、とにかくこの通り沿いに建物はあるので
通り名の由来も調べてみた次第。笑
通り名もこんだけ調べてるなんて
どんだけクドクドしい記事なんだろうね。笑

この通りにはほんとにお屋敷がたくさん。
どれもこれも大邸宅でステキ。
家を見てるだけでも楽しいエリアなんす。
DD旅行記:閣下ゆかりの地 KGB編_c0016407_74537.jpg

DD旅行記:閣下ゆかりの地 KGB編_c0016407_761145.jpg

こちらがアンゲリカ通り↓
DD旅行記:閣下ゆかりの地 KGB編_c0016407_773810.jpg

どんどん歩いていくと・・・
おおっ!見覚えのある建物が!
ぜーッたい絶対この建物に間違いない!↓
DD旅行記:閣下ゆかりの地 KGB編_c0016407_79219.jpg

ちょっと色合いが違うけど、アタイにはすぐ分かった。
外観で分かるんすよ。
コレが以前の外観↓。
DD旅行記:閣下ゆかりの地 KGB編_c0016407_7103341.jpg

大分エクステリアを直したんだねー。
この家はこのエリアの中ではかなり質素で
小さめの建物だった。
敷地はやたらと広かったけどね。
DD旅行記:閣下ゆかりの地 KGB編_c0016407_712248.jpg

プーチン閣下はココで5年間働いたんだね。
それにしても意外と小さい事務所だよね。
てっきりビル全部くらいかと思うよね。
KGBは意外と質素だったのかな。
それとも予算不足?
またはこのエリアに居を構えることが
ステータスだったのかな?
色々想像すると面白いね~。
DD旅行記:閣下ゆかりの地 KGB編_c0016407_7134321.jpg


壁崩壊後、ドレースデン市民がこの建物に
押し寄せてきたんだそうで。
「私たちを監視してたKGBを潰せ!」ってね。
「この建物の地下には拷問部屋があるはずだ!」ってね。

プーチン閣下は面食らったんだって。
拷問部屋なんて無いし・・・って。
とりあえずドイツ語が流暢だったので
通訳の振りをしてKGB諜報員ってことが
ばれないように応対してたらしいけど
余りの人数で生命の危険を感じた閣下は
カラシニコフ銃で市民を追い払ったんだそう。
確かに群集が押し寄せたらこの家じゃ
ひとたまりも無いよね。
一応ソ連軍に援護を要請したらしいけど
助けてくれなかったんだって。
これでプーチン閣下はかなりガッカリして
ソ連に幻滅したみたい。

あとね、この建物から対処するに当たり
重要書類は全部ソ連に送って
それ以外の書類は暖炉で燃やしたんだって。
暖炉が壊れるくらい燃やしたって
閣下がインタビューで答えてたんす。
すべては塵となったんだね・・・。

もうクロネコはこの地を歩くだけで
こんな感覚が頭の中を渦巻いていたわけですよ。
同行してくれた◆はずーっとアタイの
この話を聞かされてたので大変だったんじゃないかなー。
うふふ。

ちなみに現在のこの建物の所有者は
シュタイナーハウスみたい。
あの幼児教育?で有名なシュタイナーね。
ココはドレースデン支部なんだろうかね。
ちなみにシュタイナーって日本人を
差別してた人みたいね。
ふーん・・・って感じ。
プーチン閣下の本によると建物の裏は
当時幼稚園の敷地だったそうだから
シュタイナーはある意味幼稚園つながりなのかな?
閣下の娘さんが通っていた幼稚園は
シュタイナーとは関係無いよ。
KGBオフィスの窓から娘さんを
見てたんだって。
閣下ったら子煩悩だよね~。笑

KGBオフィスの向かい側には
とっても豪華なお屋敷が立ち並んでる。
真正面がこちら。↓
この家の人たちは当時ソワソワしてたのかなあ。
こっちの方が建物が大きいのよね。笑
DD旅行記:閣下ゆかりの地 KGB編_c0016407_731342.jpg


そんでもってKGBオフィスのお隣は・・・
なーんとなんと!
民宿!!!
つまりね、KGBオフィスの隣に泊まることが出来るんす!
これはっ!!
次回はぜひともココに泊まらなきゃいけないよね。
ファンの勤めだよね?!
いやー、うかつだったよ、こんなところに
民宿があるなんてね。
オフィス側の部屋に泊まりたいなあ~。
それにしても小粋な民宿だよねえ。
その名もペンション・ヴィラ・アンゲリカ
一泊シングルで45ユーロ・朝食込みだって。
安いわ。
エルベ川も見えるし最高の場所だよ。

アンゲリカ通りをエルベ川側から見たショット。↓
この右側の白い建物が民宿だよ。
民宿の後ろに見える木がかつてのKGBオフィスの木。
DD旅行記:閣下ゆかりの地 KGB編_c0016407_7293864.jpg


エルベ川が近くの高台から見えるのだ。↓
ついこないだまで世界遺産に登録されてた景色。
登録抹消されても美しさに変わりは無いね。
閣下も当時この景色を眺めてたんだろうねえ~。
DD旅行記:閣下ゆかりの地 KGB編_c0016407_7381953.jpg


閣下の職場を見たら次は当時住んでた
アパートを探したいところ。
何せアタイの知ってる情報では職場から
徒歩5分くらいのところに住んでたそうだからね。
近いね。
んで、以前ニュース番組でチラッと当時の
アパートを見たことがあったので
その記憶を頼りに付近で探したんだけど
候補が2つあったのよね。
この界隈はさっきも書いたとおり豪邸が
立ち並ぶエリアなので、
アパートの建物は逆に目立つのよね。
通りを挟んだすぐ近くの方か、
ちょっと奥まった方のアパートか・・・
プーチン閣下に電話して聞きたかったくらい。
より近い方だったんじゃないかなあと
思うけど(エルベ川沿い)、まだ確証はもてない。
引き続き調査をせねば。笑

候補1はバウツナー通り。
DD旅行記:閣下ゆかりの地 KGB編_c0016407_7424290.jpg

一応記念撮影。↓笑
クロネコ嬉しそう~。
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候補2はシャルロッテン通り。↓
DD旅行記:閣下ゆかりの地 KGB編_c0016407_7452249.jpg

どっちも似てるよね。
さあどっちが閣下ファミリーの住んでた
アパートなんだろ?
どっちも外観が塗り替えられてるから
慎重に映像を探さなきゃね。

課題は残ったものの、クロネコは大変満足ナリ。
だって念願の閣下の当時のオフィスに行けたし、
候補はあるものの当時のアパートもめぼしがついたし。
素晴らしい!

この界隈を歩いてると、
ああ、プーチン閣下も20年前にここいらを
散策されたんだろうな~って思えて
クロネコは大変ハッピーでした!
ファンって楽しいっ♪

ドレースデン旅行記はまだまだ続くよ。
クロネコ今ドレースデン熱が高いから
くどくど書くよ~。笑
by kuronekomusume | 2009-08-12 07:48 | プーチン大統領 | Comments(0)