死して屍拾う者無し

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ベルリンの通り名

ドイツではありとあらゆる通りすべてに
名前がついてる。
こんな小さい道にまで!ってくらい
徹底的に名前をつけてまわる細かさ。
さすがドイツ人だね。

けど、バリエーションに限りがあるというか。
さすがに全通りに違う名前をつけることは
出来ないみたいで。
他の街に行ったり住んだりすると
分かるけど。
同じ名前が色んな街で使いまわされてる。

アタイは記憶力が悪いので
通りの名前を覚えるのが苦手なんだけど。
それでもデュッセルドルフに9年住んでたので
よく行く通りとか、
有名な通りとか、面白い名前の通りを
多少は覚えてて。
そうすると。
あの名前の通りはあそこだな~って
脳内に通り名の入った白地図が
パパパッと思い浮かぶんだけど。

デュッセルドルフの地図が
まだまだ抜けないのよね。
ベルリン在住5年目に突入したけど
たとえば、ビスマルク通りって聞くと
まだベルリンの白地図が出てこないのよ。
デュッセルドルフの地図のまま。
通り名によっては両方が思い浮かぶものもあって。
ハインリヒ・ハイネとか。
そのうちベルリン地図だけになるんじゃ
なかろうかと思うけど
まだまだ時間が掛かりそう。

それでもベルリンは面白い名前の
通りがたくさんあるので
割りと覚えやすい気がする。

でも今日とある名前の通りで
ふと思ったのが。
第二次世界大戦中のナチスの少佐に
ちなんだ名前で。
ってことは。
それ以前はこの通りは違う名前だったんじゃ?
って思って。
そういうの考え出すとすごく気になるタイプなので。
早速検索してみたところ。
ベルリン通り名・改名データベースを発見。
なにこのリスト。
超面白い。
クロネコ、ツボった。
ので、全部チェックした。笑

そんで。
この中からクロネコが面白い!
と思うものを解説してみることにした。
どんだけヒマなんだ?
って自分でも思う。
こんなしょうもないことする日本人は
あんまりいないよね。笑

ベルリンの土地勘が無いと面白くないんじゃ・・・
と思うかもしれんが。
土地勘よりも。
ドイツのこと知らない方がつまらんかもね。
あはは。
マニア向けなり。

通り名は往々にして
為政者の影響を受けるので、
その時代に権力者が
好む名前をつけてる場合があって。
ベルリンなんかは歴史に翻弄されてる街なので
そういうのが通り名に見受けられるわけで。
ベルリン好きのクロネコには
たまらんのですよ。

で、データベースを見た感じでは
歴史的な理由で変更になった通り名と
特に理由は無いけど変更になってる場合が
ありそう。
全部が全部深い理由があるわけじゃないみたい。
そりゃそうだよね。


ではまずは。
第二次世界大戦の通り名から。
このときの為政者といえば。
ナチスだね。
なので。
それにちなんだ名前があるんだよ。
クロネコも驚いたよ。
ぬわんと。
Adolf-Hitler-Platz
「アドルフ・ヒットラー広場」
という名前の場所があったらしい!笑
そのまんまだね!
当たり前だけど戦後すぐ改名されてる。
今はTheodor-Heuss-Platz
「テオドール・ホイス広場」
になってる。
これは知らんかった。

けどこの、テオドール・ホイスって言う名前。
ドイツでよく見かけるのよ。
デュッセルドルフにはこの名前の橋が
ライン川に掛かってたし。
このテオドール・ホイスさんて何者?
と思ってググッたところ。
1884年生まれの方で、60年も政治家をやってたそう。
ドイツの自由民主党FDPを設立した人らしい。
けどただの政治家じゃこんなに名前を
使い回しされるワケ無くて。
彼は戦後の初代ドイツ大統領だったんだって。
あー、だから彼の名前がそこかしこに
付けられてるんだね。
テオドール・ホイス学校って学校名にも
使われてるよ。
なるほど。
日本ならさしずめ、吉田茂広場とか
そんな感じかな。
けどあいつの孫が今、口をゆがめながら
「セクハラ罪という罪は無い」
とか言いながら閣議決定してるのを見ると
マジでムカつくから
吉田茂広場とか東京に無くてホント良かった
って思うね。
テオドール・ホイスさんの孫には
祖父の顔に泥を塗るようなバカは
居なさそうで何よりです。
あー、けどテオドール・ホイスさんは
ナチスが政権取ってたとき何やってたんだろ?
あの時代を生き抜いた政治家ってことは、
ナチスに迎合してた可能性が高いわけで。
または政治犯として収容所に
ぶち込まれてたかのどちらか。
ウィキにそれに関する記述があったけど
今そこを掘り下げたら
このブログの記事が終わらなくなるので
今回は割愛。

そして。
ヒットラー総統の名前がついた広場が
あったなら。
他にもナチスのトップの人の名前がついてる
通り名があるんじゃ?と思いきや。
ありました、ありました。
Hermann-Göring-Str.
「ヘアマン・ゲーリング通り」
今はEbertstr.
「エバート通り」って言うんだけど。
場所を確認して驚いた。
ブランデンブルク門まん前の通りじゃないの!
え?
え?
そんな中心地に名前つけちゃったの?
何気に・・・ヒットラー総統より
目立つ場所だよ。
ゲーリングってば図々しくない?
ヒットラー総統の後継者にまで
上り詰めて、最終的には国家元帥という
地位だったらしいけど。
ナンバー2はナンバー2だよね。
あんたがあの場所取る?
ヒットラー総統は許可したのかね?
みたいな。
いやー、図々しいなあ。
地図で見るとこんな感じよ。↓
左の黄色で囲ったところがヒットラー広場で
右側に赤く書いたところがゲーリング通り。
無いわ~。笑
c0016407_05410788.jpg


ナチス時代の雰囲気を感じたいなら
ベルリンの中心地区に行けば
今でも割と建物が現存してる。
下の地図でいうと↓、黄色で囲んだエリアに
ちょこちょこ当時の建物が残ってて
今は中央省庁が入ったりしてて。
アタイはナチス時代の建物をベルリン市内で
見つけるとテンションがすごくあがるんだー。
このあたりをチャリで走るとたくさんあの時代の
建物があるもんだから
テンション振り切っちゃって胸が熱くなるんだー。
(変態?!笑)
c0016407_05583737.jpg


ベルリンで、ミュージアムに行くと
第二次世界大戦がらみの展示がちょくちょくあって。
当時の建物の写真には
建物の住所が書いてあるんだけど。
Prinz-Albrecht-Str.
「プリンツ・アルブレヒト通り」
って言うのを見かけるのよね。
そんな名前の通りってあの辺にあったっけ?
ってアタイはいつも考えてて。
けど今日データベースを見て分かったよ。
この通りってば1950年に改名されてた。
今はNiederkirchnerstr.
「ニーダーキルヒナー通り」
になってた。
上の地図の赤線引いてる通りです。

何で改名したんだろね。
アルブレヒト王子っていわく付きの人
だったんだろうか?
うーん。
気になるけど、ここも今度掘り下げよう。
当時のプリンツ・アルブレヒト通りには
確かゲシュタポ本部とかがあったはずで。
かなりナチス度が濃いエリアだったので
今は観光客向けにトポロジー・オブ・テロ
と言うナチス展示があるよ。

ナチス絡みといえば。
レジスタンス運動「白いバラ」で知られてる
ハンスとゾフィーを称えた通りもある。
Geschwister-Scholl-Str.
「ショル兄弟通り」
です。
けどこの2人たしかミュンヘンで活動してたんじゃ
無かったっけ?
まあいいや。

あとやっぱり忘れちゃいけないのが
シュタウフェンベルク少佐だよね。
ヒットラー暗殺計画、ワルキューレ作戦が
失敗してその日のうちに銃殺されてしまった建物がある
通りの名前は今は
「シュタウフェンベルク通り」
になってます。
今日たまたまその通りにあるホテルに用事が
あったんだけど、前からこの通りの名前が
すごく気になってて。
絶対シュタウフェンベルク少佐にちなんでるよなーと。
確かこのあたりで銃殺されたって言うのを15年くらい前に
聞いた覚えがあって。
そういや、アタイはなんでワルキューレ作戦を
知ってたんだったっけ?
トム・クルーズの映画じゃないよ。
あの映画よりも随分前に知ってた。
多分高校時代に読んだ本に書いてたのかなー。
オタクだったからね。
まあいいや。
で、ホテルから外に出たら目の前にナチス時代の
建物が飛び込んできて。
あら。
あら。
これはもしや?と思ったら壁に
「ジャーマン・レジスタンス・メモリアル・ホール」
って書いてて。
ふらふら吸い寄せられて中で展示を見たよ。
無料だった。
ドイツ的にはヒットラー暗殺計画記念館を
もっと押して行きたいところだろうけど
残念ながらナチスの蛮行がクローズアップされてるから
この記念館はひっそり地味な感じだったよ。
訪問者数も少なかったし。
けど!
アタイは非常に胸熱だった。
展示とかよりもあの時代の建物が
現存してることにね!
だってあのエリアって他の建物は全部
戦後に建てられてるものばかりなんだよ。
つまり爆撃でやられたんだと思うんだわ。
なのにシュタウフェンベルク少佐が銃殺された
建物は残ってるなんて。
テンションあがるでしょー。
ある意味奇跡。
だから胸が熱くなったんだー。
壁には銃弾痕もあった。
マニアにはグッと来るね。
以前の通りの名前は
Prinz-Friedrich-Karl-Str.
「プリンツ・フリードリヒ・カール通り」
でした。
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ナチス時代の次は戦後で冷戦時代だね。
東ドイツ時代の通りの名前をご紹介。
もうめっちゃコミュニズム!
そんな共産主義バリバリのネーミングといえば。

やっぱStalinallee
「スターリン並木道」
だよね。
けどスターリン並木道だった期間は短かったようで
1962年以降はFrankfurter Allee
「フランクフルター並木道」
に戻ってる。
アタイこの通り大好きなんだー。
ここは通りの両脇にソ連風な
建築の建物があって。
雰囲気がものすごくコミュニストな感じで。
モスクワまで行かずともここで十分
モスクワを感じれます!みたいな通りなのよ。
この通りはソ連様に忠犬度を示すために
作られたと言われてるので。
スターリンの名前を冠するのも納得だね。
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そんで。
このフランクフルターアレーだけど。
結構長い通りだから、途中で名前が変わるのよ。
中心部はフランクフルターアレーじゃなくて。
Karl-Marx-Allee
「カールマルクス並木道」という名前で
ここも昔は全部スターリンアレーだった。
つまり。
スターリンが、カールマルクス+フランクフルター
になった模様。
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けどベルリンの壁崩壊後も
カールマルクスの名前は残ってる。
カール・マルクスといえば資本論で
社会主義思想を打ち立てた人だから
コミュニストの大元みたいなイメージがあるけど。
彼の名前はそのまま残されてる。
何故か?
それは恐らく・・・
カールマルクスがドイツ人だからかと。
共産主義のイメージではあるけど
ドイツ人だから偉大なカール・マルクスの
名は残してもいいかなと判断されたのかなと。

同様に。
カールマルクスといえば、
フリードリヒ・エンゲルスだから。
エンゲルス通りもそのまま名前がキープされてるね。
だがしかし。
なんでもかんでもは残されてない。
たとえば、
Hackescher Markt
「ハッケーシャーマルクト駅」は以前は
「マルクス・エンゲルス広場駅」って呼ばれてたようで。
でもドイツ統一後に今のハッケーシャーマルクト駅に
変更された模様。
なんでだろね。
そのままでよかったのに~。

ソ連人の名前である
スターリン並木道は東ドイツ時代に
速攻改名されてたけど。
レーニンは東ドイツ時代もそのままで
東西ドイツ統一後に改名された模様。
今のLandsberger Allee
「ランズベアガー並木道」は
1992年まで「レーニン並木道」という名だったらしい。
知らんかったー。
アタイんちから近いから
ちょくちょくあの通り行くんだけど。
あそこレーニン並木道だったのかあ。
東独風の場所だからピッタリだよ。

あと「レーニン広場」
も今は
Platz der Vereinten Nationen
「統一国家広場」
という名になってる。
つまらんなー。

ついでに。
東西冷戦時代のスパイ交換の場所として知られてる
Glienicker Brücke
「グリニッカー橋」も統一後は
Brücke der Einheit
「統一の橋」
に改名されてる模様。
けどみんなそのままGlienicker Brücke って呼んでるから
新しい名前は根付いてないね。笑
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時代と関係したネーミングはこんなところです。



ベルリンには
Königin Elisabeth Straße
って言う通りがあるんだけど。
この改名データベースには載ってなかったので。
恐らくこれはクイーンエリザベス1世にちなんで
つけた名前の通りなんじゃ無かろうか?
と勝手に予測。
多分100年以上あの通りはこの名前なんだろうなと。
だから改名されてない。

昔から変わっていない通りの名前もあれば。
昔に改名されてるケースも合って。
それが。
Unter den Linden
「ウンターデンリンデン」
菩提樹通り。
かなり昔だけどこの名前に改名されてた!
c0016407_04595264.jpg

ブランデンブルク門の東側に伸びた通り。
ここは1737年までは
Linden Allee
リンデンアレー(菩提樹並木道)
と言う名前だった模様。
ウンターデンリンデンの方が良いよね。
森鴎外がベルリンに来た頃には
既に改名されてたので
舞姫にはちゃんとウンターデンリンデンって
書いてある。
これもクロネコの胸熱ポイント。


言わずと知れたベルリンフィルハーモニーの
建物がある通りは
Herbert-von-Karajan-Str.
「ヘルベルト・フォン・カラヤン通り」です。
彼に敬意を表して付けたんだろうね。


西ベルリンには西ドイツの戦後に
活躍した政治家の名前がつけられてる
通りがちらほらあって。
Konrad Adenauerアデナウアーとか。
Willy Brandビリー・ブラントとか。
この人たちの名前はベルリン以外の西側の街の
通りにもいっぱいついてるね。

あと、通りの名前に町の名前も割りとある。
たとえば。
デュッセルドルフ通りとか。
ミュンヘン通りとか。
ザールブリュッケン通りとか。
ネタ切れなんだろうなーって思っちゃうよね。

そして。
Graf-Spee-Str.
「グラーフ・シュペー通り」は
1983年にHiroshima Str.
「広島通り」に改名されてる。
日本大使館がある通り。
その近くの赤い小さい橋も確か
Hiroshimasteg
「広島橋」
だったかと。
原爆にちなんでつけられてます。
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そんな感じで。
通り名の改名データベース。
クロネコにとってはとっても面白かった。
そんで。
アタイがベルリンでもっとも大好きな名前の
通りのこともチェックしてみた。
ここは明らかに改名されてるはずだからね。
改名前は
Tilsiter Str. だったそうで。
この名前に意味は特に無い模様。
けど改名後がすごいよ。
もうね、アタイはこの名前を見つけたとき
血が逆流するかと思った。
こんな名前の通りがあるなんて!
ベルリン、まじですごすぎる!
嬉しいー!
ってね。
今でもこの通りの名前を脳内に
思い浮かべるだけで胸が熱くなるし
心拍数が上がるんだわ。
それくらいクロネコには
傑作の通り名。

なんという名前かというと・・・
Richard-Sorge-Str.
です!
「リヒャルト・ゾルゲ通り」
くー!
こんなネーミング、アリなのか?
アリなのか?
よくぞまあつけてくれたね!
ほんと嬉しい!
どこの誰がつけたか知らないけど
感謝の握手したい気分。

リヒャルト・ゾルゲ。
知ってる人は知ってるよね!
アタイは知ってるよ。
会ったこと無いけど知ってる。
ソ連のスパイ。
c0016407_05550981.jpg
第二次世界大戦中に東京でスパイ活動を
やってたんだよね。
お母さんがロシア人でお父さんが
ドイツ人のハーフだったので、
ソ連(といってもアゼルバイジャンだけど)生まれの
ドイツ育ちなのでバイリンガルだったんだろうね。
ソ連でスパイとして教育を受けたあと
ドイツ人ジャーナリストかつナチス党員として
東京でスパイ活動をやってたそう。

最終的に1944年に特攻に逮捕されて、
巣鴨に収監されて
絞首刑になりました。
当時、ソ連はそんなスパイ知りません!
ってゾルゲを見捨てたそうで。
戦後もソ連はゾルゲの存在を無視してたらしいけど
当時のゾルゲのスパイ活動報告のおかげで
かなり精度の高い日本とドイツの情報が
ソ連にもたらされてたので
ソ連は日本と戦わずに済んで、
さらにナチスドイツに抵抗することが出来たので
ゾルゲ素晴らしい!
ってことで。
1964年になってやっとゾルゲの功績が
ソ連で認められたんだそう。

ウィキによると
ソ連への忖度か、
はたまたソ連からの直接的な圧力か
不明だけども、
東ドイツでも
ゾルゲの名前を陸軍に
つけたりしてたとかで。

そんで。
ベルリンのリヒャルト・ゾルゲ通りは
まさにカールマルクス並木道から
程近い通りなんだよね。
これもソ連への忖度かな。

よくよく考えてみると。
ドイツにとってゾルゲは別に功績とか無い人なんだよね。
むしろドイツを利用してソ連に情報を
もたらしてたくらいだから。
一応ドイツ人の血は入ってはいるものの
あいつドイツを裏切ってないか?的なね。
とはいえ。
裏切っていたのはナチスドイツだから
今のドイツ人から見たら
別に悪くも無いわけで。
当時の東ドイツ人が見ても
問題は無かった・・・?!
うーん。
よくわからんが。
問題が無かったからそのままゾルゲの名を
冠した通り名が残ってるのかもしれないね。
だとしたら。
セーフ・・・ってことになるのかな。
ありがとう、ドイツ人!笑

あ、ゾルゲは3歳のときにアゼルバイジャンから
ベルリンに引っ越してきてて。
ベルリンの大学を卒業してるので。
もしかしてもしかして。
当時この通りにゾルゲ家が住んでたとか?
だとしたらまたクロネコのテンションが
あがるんだけど!
どうだろ?
どうだろ?
もっと調べてみなくては!
もしそうならドイツ人が通り名をキープする
理由もわからんでは無いよね。

いずれにしても!
この名前をキープしてくれてて
ありがとう!ってアタイは感謝してますわ。
アタイ別にゾルゲの大ファンじゃないんだけど
スパイ好きとしてはゾルゲは外せんよね!
って思いがあってね。
いや。
いや、どうだろ。
もしかするとアタイはゾルゲが好きなのかもしれないな。
どっちでもいいわー。笑

そういや。
10年ほど前に確かモスクワにFSBが新設されてて。
FSBと言うのはソ連KGBの今の組織名で
(KGBはもう無いからね)
主に国内諜報機関なんだけど。
その建物が新設された際に、
オープニングでプーチン閣下が訪問されてて。
プーチン閣下はゾルゲの胸像と写真を
撮ってたんだよね!
アタイはそれを見て驚いたんだー。
プーチン閣下とゾルゲのツーショットですかっ!
高まる~!!
やばすぎる!

つまり。
今はゾルゲはFSBにも認められてるってことだよね。
プーチン閣下も元スパイだからね。
やばいわ。
胸熱だー!!

クロネコはもちろん篠田監督の映画、
スパイ・ゾルゲもDVDで持ってるよ。
葉月リオナさんがゾルゲの愛人役だったよね。
あのリオナさん美しかった~。
小雪さんの美人オーラもすごくて
画面から美しさがあふれてた。
肝心のゾルゲはイギリス人俳優が演じてて
アタイはどうでも良かったという。笑
ドイツ大使館のオットー大使を
ウルリッヒ・ミューエ氏が演じてるんだよねー。
ミューエ氏はもう亡くなられたけど
好きな俳優さんだったわ。

それにしても。
スパイ・ゾルゲの名前がついた通りが
ベルリンにあるなんてね。
感慨深いよ。
心拍数上がるよ。
クロネコもちろん何回か通りを見に行ってます。
どうってこと無い普通の通りだけど。
ゾルゲの名前がついてるからねー。
かっこええのお。
震える~。
って思いながら通りをウロウロする東洋人。
怪しすぎるねー。


そんなこんなで。
今回は通りの名前にフォーカスしてみた。
ベルリンだと通りの名前だけでこんだけ
楽しめるなんて。
クロネコどんだけベルリンを好きなのよ!

クロネコは普段からベルリンを150年くらいの
視点で見てるんだー。
戦前、戦中、冷戦中、現代
みたいな感じでカテゴリ分けしつつね。
どの時代も大好きで
それらが混在してるのがベルリンだから
もう最高に楽しいんだ~。
右見ても左見ても上見ても下見ても。
前見ても後ろを向いても。
どこにでもクロネコのテンションがあがるものが
あるわけだから。
パラダイスです~。

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by kuronekomusume | 2018-05-23 03:57 | ベルリン | Comments(0)